
啓命名、『ミツバチ型飛行機』で移動

飛行機が遅れ、乗り継ぎチケットは手でもぎられました。飛行機のチケットって手でもぎっていいんだぁ

飛行機を乗り継ぎ、バス、電車と8時間近い移動。途中三次では花火大会が行われていました。車内で見送るメンバー
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7月29日 移動日
29日沖永良部から広島県庄原市への移動日。沖永良部は、メンバーそれぞれ、良い思い出ができたのではないかなぁ。私もたくさんの思い出ができた。公演でお世話してくださった方々や島の方の優しさが心にしみた。
私は、ホテルの近くにある酒屋のおばちゃんと仲良くなり一日に何回も顔を出した。おばちゃん(茂子さん)の作ったニンニクの黒糖漬けは最高に美味しかった。ご主人は仲代達也に似ていて男前だった。別れが名残惜しく、出発のギリギリまでお喋りをしていた。
島の時間は本当にゆっくり流れていた。 また、会いにゆきます。
【水上琴野 記】 |

日本一のガジュマルで遊ぶ雅代、琴野

ダチョウと雅代と琴野。二人が鳴真似対決を挑みましたが、当のダチョウは全く相手にしていませんでした。大人です

黒糖焼酎の工場に行きました。社長と琴野。琴野が手にしている焼酎と素敵なうちわを頂きました

ヤギと昌樹。このとき、確かに昌樹を恋心を感じていました
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7月28日
今日は旅が始まって初めてのおやすみ。前回から登場の窪田さんのご好意で午前中、島めぐりに連れていって頂きました。 まずは島一番の鍾乳洞、昇竜洞へ。長さ600メートルをじっくり歩いて回りました。お次は黒糖焼酎の蔵元、新納酒造さんへ
こちらではお土産に焼酎をしっかり戴いてきちゃいました。 そして田皆岬、この岬からの眺めは言葉ではいい表せない位の美しさ。どこまでも澄んだ海に時折海亀が姿を現し一同感動。皆さんももし南の島へ旅をすることがあったら沖永良部まで行ってみてくださいね〜
【杉本雅代 記】 |

舞台に上がりたい子ども達でいっぱい!

楽しそうに音具の鳴らし方を習っていました
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7月27日
前進座74年の歴史で初の沖永良部公演の幕が無事開きました! カエルくんの芝居の魅力は全国共通! 子ども達、仲間達共々、ノリノリで舞台は終了しました。メンバー全員、来年も行くぞ! と、興奮しまくりでした。また、呼んで下さ〜い。いつでも馳せ参じます。
【金子義広 記】 |

出港の調べを奏でる水上琴野

島が見えたぞー!
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7月26日 移動日
今日は移動日。楽しかった、沖縄を後にして、沖永良部島へ。地図上は近いのですが、なんと船で7時間、終点鹿児島まで二日もかかる大移動。朝8時マリックスラインで那覇港を出発。台風7号の波の影響で予定の知名港から伊延港という島の反対側の港に変更。7時間掛けてやっと
こさ到着するとそこに、知名町教育委員会生涯学習課課長の林さんと窪田さんがお出迎えをしてくださり、なんとバスでホテルまで送ってくださいました。車内ではお二人の大らかで楽しいトークに
大爆笑。あっという間のひとときでした。ありがとうございました。明日はよろしく おねがいします。
【寺田昌樹 記】 |

体育館公演を思い出す舞台。左隅で見ている男は演出家龍男

みんなバイバーイ! 右にでっかいクマはトラック伊東
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7月25日
ヘビーな幻覚症状(中城村公演)
25日は沖縄県中城村というところで公演でした。 多目的ホールでの公演で、準備や片付けが少し大変でしたが、見てくれた子どもさん達は、ここでもとっても素直な反応で、演じているほうも嬉しかったです。ほんとに素直で、二部の体験ワークショップの終盤、「もう終わりでーす」って感じになると、みんなぞろぞろと帰りだしました! こちらとしては、おしまいにもう一発「バイバーイ!!」とやりたかったのですが…。なんとか席に戻ってもらい、「バイバイ」をして終わりました。(笑)
【松永 啓 記】 |
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7月24日 名護公演
今日は名護市での公演。会館は海のすぐそば。故に海風が強く外に干した洗濯物が何度も飛ばされて困りました。 でも公演は大成功。地元の高校の演劇部のみんなが帰りには那覇までお見送りをしてくれました。そのバスの中で高校生のみんなに沖縄の言葉や生活風習についていろいろ聞きました。名護の皆さん楽しい時間をありがとうございました。
【杉本雅代 記】 |

途方に暮れる水上琴野

読谷の子ども達も楽しんでくれました!

終演後、名護へ。移動中の車内からの風景。はあ、きれい
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7月23日 読谷公演
暑い、暑い、暑〜い! しかし、この暑さも東京の暑さと一味違い、すっきり爽やかな感じ。夏、満喫しています! 今日は、朝9時から仕込のため、メンバーは荷物を持ってホテルより徒歩10分にある文化センター鳳ホールへ向かいました。しかし、ホテル前の坂を上ってみるとそこは見渡す限り何もない広野。さとうきび畑があって、オフ日なら、わーい!と駆け出すところでしょうが、荷物を抱えた仕事日には気の遠くなる光景でした。言われていた徒歩10分を過ぎた頃にようやく遠くに会館の影が・・・。こちらの人は移動に車を使われるため、きっと、会館へ徒歩で行ったことがないのでしょう。なんか納得。沖縄の方の大らかさに改めて、感動いたしました。
公演も無事、終了。使い慣れた葉っぱ台もトラックと共に無事到着。さあ、明日からもがんばるぞ〜。
【金子義広 記】
昨夜、読谷村に入り、本日は朝搬入の昼開演、その後名護に移動しました。 先日、NHK教育で戦後60年の読谷村という特番を見ました。戦争で子どもを亡くした方や、辛い思いをされた方が大勢いらっしゃるのに、その事実を知らない人が多い。忘れてはならない歴史を語り継いでいかなくてはと、辛い過去をお話してもらい、読谷村史を出版したそうです。チビチリガマといわれた洞窟で日本兵が村民をスパイだと疑って虐殺してしまったことや、集団自決をしたことなど私自身知らないことが多くショックを受けました。読谷にはその印象が強かったので、この地で公演できることを心待ちにしていました。
右を見ても左を見てもサトウキビ畑が広がっいました。 ここの子どもたちはシャイな子が多いようですが、楽しんでもらえたようです。
島人(しまんちゅ)の笑顔は最高さぁ〜。
【水上琴野 記】 |

石垣空港にて。道具をバックにひとみ、佐紋、昌樹

読谷のホテルより。鳥居基地の向こうには海が!
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7月22日 移動日
来た日とは打って変わってぴーカン照りの石垣島を後にして再び那覇に着陸。空港で舞台の道具をトラックへ積み替えるために男子は空港で待機。女子とドラゴン鈴木さんは那覇から車で1時間ほどの読谷村へ先に移動。
読谷村、60年前には戦地だったとは思えないほどのどかな風景。有名な象の檻が遠くに見える。宇宙人と交信できそう。 熱い、暑い、あつい。地元の人は日の登っている時間は外には出ないそうだ。
【山本ひとみ 記】 |

意外と使いやすかったひろびろ葉っぱ台

司会業初のイッシー。よく見るとマイクの持ち方がいやらしいのは許してあげてください

子ども達も舞台に上がって体験学習しました! |
7月21日 石垣公演
一難あってまた一難の末、辿り着いた道具を使って、石垣島公演が無事、開きました! この公演では、二つのカエル初がありました! 一つは当初の予定から葉っぱ台(カエルくんの舞台のメインとなる中央の台)は飛行機貨物の大きさ制限に引っかかっていたため持って行かず、その代わり、会館の平台と特製パンチカーペットで葉っぱ台を作りました。いつもの葉っぱ台よりも大きいため、踊りやすく、仲間達から意外な好評を得ました。大道具は持って行けなかったけど、いつも以上にノビノビと演じる仲間達を見せられて良かったです。
そして二つ目は当班演出部付き俳優、イッシーこと石田聡のワークショップの初日だったのです! 開演前の稽古ではなれない司会業に四苦八苦のイッシーでしたが、本番になればそこは役者です! バカテンション(←カエル班内最高級の褒め言葉)で会場を沸かせる沸かせる! 子ども達の笑い声が響き渡って、みな一様にほっと致しました。
【金子義広 記】
MCバージョン初日!
7月21日、天候の都合で飛行機が飛べず、一日遅れての石垣島入り。 本日は、芝居終了後、劇中使用した音具を使っての体験学習事業のワークショップ初日でもありました。普段よりも開演までの時間に3時間程余裕があったおかげで、MCの進行確認と稽古をすることが出来ました。5番目の仲間改め、「いっしーおにいさん」(私は普段いっしーとよばれています)の出来上がりです。
当初300人位の入場ときいていたのですが、なんと!2倍以上のお客様に迎えて戴くことができました。 芝居中から子供たちから元気な反応があり、本編が終わる頃には完全にヒートアップ。ワークショップでは、「おにいさん」の呼び掛けに更に元気に応えてくれました。その反応に助けられた部分がほとんど、いや、それ無しでは成立し得なかった、参加してもらって「一緒に創る」こと。初めての事に内心ドキドキでしたが、「おにいさん」にも貴重なワークショップでした。千秋楽まで、もっともっと楽しくしていきたいものです。
【石田 聡 記】 |

ひろむとドライブ。石垣は何でもでかい!

ひろむ、海を望む。この天気でも飛行機は飛ばない・・・

ひろむと山田さん。山田さん、HP見てる〜?
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7月20日 移動日
こんにちは、寺田昌樹です。 いま那覇にいます。
一見いいなぁ〜って思うかもしれませんがとんでもない。今日は石垣島にいるはずなのです。そう、目的地に行けなかったのです。 朝8時の飛行機で羽田から那覇へ。ここまでは順調でした。問題はその後。石垣島は霧が強く乗るはずの飛行機が欠航。(定刻の一時間後に)そこから二時間後の飛行機がとれるも、これも欠航。石垣島最終は、これより三時間後、それもキャンセル待ちメンバーは疲労今敗。三時間待
って乗れなかったら最悪。そこで明日一番の飛行機(8時発)を予約して那覇に滞在することに。いや、とんでもないアクシデントです。(でも那覇についたら、ついたらで夕方だと言うのに海に行ったり、首里城観光したり、ゲーム楽しんだり、Kー1見て盛り上がったり…)
でもみんな、明日スムーズに行けるとも限らないんだよ。空港からホテルに行くタクシーの運転手さんが「台風はあるけど霧で飛ばないなんて聞いたことないねぇ」って言ってたけど…
いづれにしろ移動日でよかったね。でも前乗りしてた啓くんと金子くんはもっと大変だったみたい。なにせ荷物が那覇から飛ばない。霧で飛べない。我々人間はともかく荷物はスケジュールの関係でまずい。どうなったのかな、金子くん?
「えー、こちら金子です。朝一にてレンタカーを急遽手配して荷物が届くのを万全の体勢で待っていましたが、とりあえず、午前中は台風の影響でたまっていた生活物資が優先され、不着。その時に那覇の貨物から15時頃到着の飛行機に荷物は全て詰めるとの朗報が。まだ4時間近くあったため昼に到着するみなを待つ間、食事タイムにしました。が、その辺りから事態が急変。午前中は飛んでいた飛行機が視界不良のため未定→欠航に。みなも来ないし、勿論、荷物も来ない…
きっと東京から雨男二人(イノシシ○紋&演出家龍○)が来たためだとひとしきり恨み言を言い、仕事熱心な僕ら二人は視界不良の原因を突き止めるためにドライブへ(笑)
だってやることないんだもんw しかし、昨日最終便に載った我々も2度、地上2mまで着陸急上昇を繰り返し、三度目に成功という背景があったため心配は心配。人間は明日入でも間に合うが道具は明日に回された場合、また午前中は生活物資優先の可能性が高いため、我々の荷物は午後に。そうなったら到底仕込みが間に合わない!
是が非でも今日中にはと祈る気持ちで郊外へ出てみれば、島は、風も雨もないのだが、なるほど霧が強く、近くの山もその姿の半分も分からない状況。絶望的な状況に、苦肉の策ではあったが、僕らの気持ちもどんより曇らぬよう、金子持参のウクレレでとりあえず歌いました。かなり陽気にw
歌声効果か夜最終二便は飛んでくれて、那覇の貨物課の協力もあり、全ての道具が石垣島に渡りました! 全ての関わった方達の協力がなければ到底無理な偉業でした。
那覇、石垣の貨物課の皆さん、バラバラの班の行動を管制官のように情報収集、伝達してくださった制作豊田さん、そして、石垣市民会館へ夜遅くの搬入に笑顔で手伝ってくださり、友達になった山田さん(27歳静岡県出身の海野郎)等々、ご協力ありがとうございました!
明日は班員一同良い舞台になるようがんばりまーす!」
義広くんありがとう。 そして、JTAの皆様ありがとうございました。明日どうやら公演が出来そうです。字数がかなりきましたがとにかくみんな、明日の公演がんばりましょう!
出演者、演出部演出家、東京のデスク、石垣と那覇のホテル、石垣の会館、主催者、航空自衛隊、飛行機会社。こんな多くの協力で公演が出来るなんて…明日は一丸でやっちゃいましょう、がんばっちゃいましょう。そんな気持ちです。石垣のみなさん、明日よろしくという思いです。
【寺田昌樹・金子義広 記】 |
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