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 奉安殿 (ほうあんでん)

 

鉄筋コンクリートで神社風に建てられた独立建築。その内部には棚があって、天皇・皇后両陛下の「御真影 ( 写真 ) 」と「教育勅語(ちょくご)」等が納められていた。大切に安置する場所として、校庭の一番よい場所に吟味して造られた。生徒は登下校の際に最敬礼をした。校長先生をはじめ教職員は、これを火災や盗難、災害から守ることが大事な任務の一つだった。御真影も奉安殿も、戦後まもなく学校から姿を消し、「御真影」は奉還され、「奉安殿」は撤去された。

 

 教育勅語 (きょういくちょくご)

 

日本の教育の基本方針を示した明治天皇の勅語。1890年(明治23)10月30日発布。忠君愛国を国民道徳として強調した。第一回帝国議会の開会直前に発布、学校教育を通じて国民に強制された。学校では儀式のたびに全校生徒の前で校長が読み聞かせ、天皇制の精神的・道徳的支柱となった。1948年(昭和23)廃止。

 

 綴方教育事件 (つづりかたきょういくじけん)
   
 北海道綴方教育連盟事件 (ほっかいどうつづりかたきょういくれんめいじけん)
   

 

生活綴方=子供たちに生活の事実を綴らせて(書かせて)、ものの見かた・考え方・感じ方・生き方を育て、文章力を高める教育方法。戦後は、作文教育とも言っている。

1940年(昭和15)東北から始まった生活綴方運動に対する弾圧は、「綴方の教育にことよせて、貧困と矛盾に目覚めさせ、子供たちを革命戦士に育てるための教育・・・」とデッチ上げの治安維持法違反によって、全国で約300名の現職の公立小学校の教師が検挙された。北海道では1935年(昭和10)に北海道綴方教育連盟が結成されて、道内に生活綴方が広まったが、1940年(昭和15)11月から翌年までに55名が検挙された。これを綴方教育事件・北海道綴方教育連盟事件と呼ぶ。

 

 
 治安維持法 (ちあんいじほう)

 

1925年(大正14)社会主義運動を取りしまるために制定された法律。天皇を中心とする国家体制や私有財産制度を否定するすべての結社や行動を禁止。普通選挙法とほぼ同時に制定されたことから“飴と鞭”の関係にもなぞらえられ、普通選挙実施による政治運動の活発化を抑制する意図があったと見られている。のち,1928年(昭和3)には処罰に死刑が加わり,労農運動や自由主義者の弾圧にも利用されるようになり、多くの活動家、運動家が弾圧された。悪法として名高く,1945年(昭和20)廃止。

 

 特高(特別高等警察) (とっこう・とくべつこうとうけいさつ)

 

特高警察官は治安維持法の実施にあたる第一線の部隊として、豊富な機密費を使って、常時調査・視察・取り締りを担当し、尾行・逮捕・拷問の技術を習練し、国民の間にスパイ網を張り巡らした。維持法・治安警察法・行政執行法などによって過酷な弾圧をおこない、共産主義者はもちろん、のちにはいっさいの民主主義運動をも徹底的に取り締り、労農運動内部の霍乱工作にまでのりだした。岩田義道や小林多喜二をはじめ残虐な拷問によって殺害された者も多い。