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 世界恐慌 (せいかいきょうこう)
第一次世界大戦のあと世界一の経済大国となったアメリカで、1929年(昭和4)10月、株価が大暴落し恐慌がおこった。アメリカは自国産業保護のため、外国から輸入される商品に極端に高い関税をかけたので、1年半の間に貿易は半減し、世界恐慌に発展した。これによって、アメリカへの輸入に頼る日本経済は大きな打撃を受け、大量の失業者が街にあふれた(昭和恐慌)。農村でもアメリカ向け生糸の輸出額が激減し、その上、1931(昭和6)年には東北地方を凶作がおそった。そのため、昼食の弁当を持参しない欠食児童が出たり、親の借金の身代わりに幼い娘を都会に働きにだすようなことがおこった。
 満州事変 (まんしゅうじへん)
昭和の初め,満州(今の中国東北区)でおきた日本軍と中国軍との武力衝突。世界恐慌の影響で日本経済は深刻な不景気にみまわれ,軍部らの間に,満州を植民地化して危機をのがれようとする動きが強まった。一方,中国では排日運動が高まっていた。こうしたなかで,1931年(昭和6)関東軍(満州にあった日本軍)が奉天(今の瀋陽・シェンヤン)郊外で鉄道爆破事件(柳条湖事件)をおこし,これを中国軍のしわざだとして強引に開戦した。日本政府の不拡大方針にもかかわらず,関東軍はこれを無視して戦争を広げ,全満州を占領した。
 日中戦争 (にっちゅうせんそう)
1937年7月7日の蘆溝橋事件をきっかけに,中国軍とのあいだに軍事衝突がおこり8月15日から日中間の全面戦争にまで拡大した。当初,日本側は短期決戦の見通しでいたが,中国側は抗日民族統一戦線を結成し,徹底抗戦の構えで臨んだので,戦争はしだいに長期化し,泥沼に入り込んだような状態になっていった。一方、朝鮮半島では、1910年(明治43)8月22日の日韓併合条約により日本領とされていたが、義兵運動などの抗日運動は続いていた。1941年(昭和16)12月8日、日本は米英を相手にした太平洋戦争へと突入して行く。