脚色にあたって
「伝えたいこと」
『今日われ生きてあり』は1945年(昭和20年)の春から夏にかけての沖縄の戦いで、九州の基地から飛び立ち、アメリカの艦隊に体当たりして死んでいった若き特攻隊員たちと、その妻や恋人、隊員の身のまわりの世話をし、出撃を見送った女学生たち。そして、死んでゆく若者たちに実の母のように慕われた食堂のおばさん……。純真で無邪気な少年兵たちを中心に、人間の心と心のふれあいをしみじみと描いた物語です。
若き特攻兵たちは愛するものと引き裂かれ、母や妹や、妻や恋人への思いを残して死んでいったんです。
次から次へと特攻基地を飛び立ち、最後には誰もいなくなってしまう……。
まったく残酷非情な作戦です。
ところがそんな非道な作戦をたてて、「祖国のために、征け征け、死ね死ね」と、若者たちを死地にかりたてた将軍や参謀たちの多くは、戦後もながく生きながらえて、隠然たる力を持ち続けてきました。
特攻生き残りの人が私に語ってくれました。「特攻の若者は笑って死地へ飛び立ったといい伝えられているけれど、僕たちは、後に残された人の気持ちを考えると、人前では泣くことさえできなかったんです。この悲しみがわかりますか…」
死んでゆく者も悲しいけれど、後に残された人も辛い……。
この舞台の中では、戦争反対とか、平和を守れとかいう言葉はでてきません。
でも、真実の記録を一つ一つ正確に積み重ねていくことと、あの人たちの一人一人を愛情をこめて描くことによって、人間の生命の重みと尊さを訴えようと願っています。
悲しみの底から、人間のしあわせと生命を奪うものの恐ろしさを感じさせ、怒りがわきあがってくるような幕切れになったらいいなあと思ってつくりました。
出てくる人はみんな、心やさしいすてきな若者ばかりです。
そういう愛すべき若者たちが、みんなに惜しまれながら死んでいった。一人一人の命が一つずつ消えてゆく……。
今度の上演に当っての私の願いは、この事実に焦点を絞って描くことで「真実を伝えたい」ということにつきます。
特攻隊員が遺書や、別れのときに、愛する人に残した言葉の中で、一番多いのは「生きて下さい。どうかお身体を大切に、幸せに生きて下さい」という言葉です。
田島 栄
写真撮影=中野英伴
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