あっという間に終わってしまった韓国ロケハン。最後は早朝出発の上、何故か日本円で売っているお土産屋に向かわされ、たっぷり時間を費やすというお決まりのコースで空港へ向かった。さすが格安ツアー。機内で眠るとは言え、正直、眠いっす。いや、まじで。

そんなこんなはあっても、本当に充実した旅をすることが出来た。それもこれもこのコースを作ってくれた上に、各地でガイドを頼んでくれた黄さんのおかげである。本当に感謝しています。また、各現地にて心よりもてなして下さったみなさま、本当にありがとうございました。

韓国での出会い、東京での出会い、出会った方々はみな、とても親切だった。そして、みな熱かった。この熱さは、接待ベタの日本人の舞い上がった熱とは違って、どうしたら、この人たちに喜んでもらえるか、自分に何が出来るのか、真剣に、そして楽しんで考える熱さに感じたのだ。「よし、一肌脱ごう」という親分肌をみなが内包していて、それを楽しんでいる。日本はそもそも内向的な民族だとは思うが、ちょっと前まではこんな世話好きが少なからずいたはずだ。これからは自分も人をもてなす機会があれば、熱く楽しめたらいいなと思った。そして、この公演を機に沢山の人たちと出会えることを望んだ。

初めての韓国の印象は、今でこそ地下鉄や標識には漢字や日本語まで表記してくれるようになっているが、これがもし、ハングルと英語表記だけだったら自分がどこにいるかさえ知るすべがなかったと思う。街の看板は完全にハングルだけのところも多く、何の店なのか、外観だけでは分からないことも多かった。日本の文化を全てシャットアウトした歴史が、この国にあったことをそんなところで感じることになった。

私のことになるが、この公演を行う意義というものを、企画が持ち上がってから何度か迷ったことがある。演出の十島のように長年に渡って研究してきた人とは違い、はっきり言ってよく知らなかったのだ。普通に生活している上で接点がなかったと言ってもいい。それだけ、日本の加害者としての歴史は曖昧模糊となっているのだと思う。しかし、韓国人でこの歴史を知らない人はいないのだ。

そんな私に何が出来るのか。この思いを登場人物である二人の兄妹、テヨルとスンヒィに託すことで、脚本を書き上げようと思っている。この二人の登場人物は私と同じで、何も知らぬまま、知らされぬままに社会に存在していた。しかし、受け入れる以外に選択権のない中ででも、夢を持ち、希望を忘れない。この登場人物のたくましさを借りて、私のように知らない人たちへ少しでも届けられれば、私なりの成功ではないかと思えるようになったのだ。まさしく老若男女、全ての人に見てもらいたい。そんな思いを新たにするロケハンだった。

芝居として届けられる時間はこの歴史を語るのにあまりにも短い。そして、その時間に盛り込める内容はたかが知れているだろう。だが、観劇後には涙と笑顔で帰ってもらえるような芝居にしたい。そんなに簡単な問題でないことは重々承知しているが、主人公の二人の兄妹が未来へ希望を持てるように、それが、今を生きる私たちの願いとなれるように、そんな芝居を届けたいと思っている。

(終わり)